「性」を言葉にするのは、少し怖い。
自分がどう思っているか、何を感じてきたか。それを文章にすると、まるで裸になるような気がして、指先が止まることが何度もありました。
でも、あの頃の私が読みたかった文章は、きっと「誰かの正直」でした。
私が自分の過去や想いを綴るようになったのは、自分のためでもあるけれど、今、あの頃の私のように悩んでいる誰かのためでもあります。
今回は、「性」というテーマをコンテンツとして書くときに、私自身が大切にしていることを3つ、お話しします。
「消費される性」と「語る性」は違うということ
風俗で働いていた頃、私は“商品”でした。
名前ではなく、番号やプレイ内容で求められる。そこには私個人の感情や痛みは不要で、「相手を満たす」ことが全てでした。
でも、文章にするときは違う。
私は、私の言葉で、自分の内側から出てきたものを綴る。それは、過去の出来事を“消費される性”として提供するのではなく、“語る性”として、自分の意思で共有するということ。
私のコンテンツが、誰かにとって「抜きどころ」になってしまう可能性はある。それでも、私はそれを怖がらないと決めています。
なぜなら、私の文章は「同じ痛みを抱えた誰か」や「声をあげられない誰か」へ向けたメッセージだから。
その軸を持つことで、私は自分の性を、誰かのまなざしに委ねすぎずにいられるのです。
感情を先に書き、行動を後に添える
たとえば「誰かに抱かれた夜」の話をするとして、私はその時の気持ちを先に書きます。
・なぜその人を選んだのか
・何を求めていたのか
・終わった後、どうして泣いてしまったのか
こうした感情があるからこそ、行動には意味が生まれる。
逆に、行動だけを書いてしまうと、ただの体験談になってしまう。
私は「性」を、心の延長として語りたい。
それは、愛情があったとか、そういう美談にしたいわけではなく、「私はこう感じた」という感情を主語にすることで、その夜を“意味のあるもの”として残したいのです。
その積み重ねが、私という人間を、過去から少しずつ解放してくれる気がしています。
「誰のために書くか」を、いつも忘れないこと
正直に言うと、書いていて心が擦り減る日もあります。
「こんなことを書いて、誰かに引かれないかな」
「私のことを軽い女だと思う人がいるかもしれない」
でも、それでも書くと決めているのは、過去の自分と似た気持ちを抱えて生きている誰かに届いてほしいから。
「本当は誰かに優しくされたい」
「抱かれることでしか、自分の存在を確認できない夜がある」
そう感じている人が、この世界にはたくさんいます。私は、その人たちに「あなたの感情は間違っていない」と伝えたい。
コンテンツにする、というのは簡単なことじゃない。
でも、意味のある言葉として残すことで、過去が少しずつ“光”に変わっていくと、私は信じています。
おわりに:私にとって「性」を書くことは、自分を取り戻す旅だった
昔の私は、自分の性に自信がなかった。
「こんな過去がある私は、誰かに愛される資格なんてない」
そんなふうに、自分自身を責め続けていました。
でも今は違う。
私は、自分の選んだ生き方を、誰かの声にかき消されたくない。
そして、同じように自分を責めている誰かに、「大丈夫だよ」と伝えたい。
性は、恥ずかしいものじゃない。
コンテンツとして語ることで、私は私自身と和解してきました。
この文章が、あなたの心に静かに届きますように。
そして、あなたの言葉にも、きっと力があることを忘れないでほしい。